10/25(sun) ■
うーんスパークは間に合わないかも! 帰宅が毎日夜7時過ぎということより 自分の集中力のなさにグンニャリしています。 資料でデンとスーの歴史本を6冊くらい購入。 いろいろ読んでようやく二人の殴り愛の歴史がわかりました。
デンはデーン族、スーはスヴェーリエ族から生まれたんですね。 デンマークの意味は「デーン人のマルク(人の住まない境界線)」荒れ地のデーン人、みたいな意味かな?ちなみにノルの昔の名前はノーエ。
1000年位に一度デンがイギリス含めた北欧一帯を支配して 北海帝国なんて呼ばれていました。 色々主導権を握りまくりな国でしたが 支配した国王が死んだ後、またばらばらになりました。 後継者が育たないワンマン経営だったんですね。 しかしこの後の北欧はカオスです。 スーやデンやノルの家系図入り乱れています。 ノルの国にお嫁に行ったデンの王女が子供を産んで その子供がノルウェー王になったと思ったら デンの所の跡継ぎがいなくなったからデンの王様も兼任で戴冠したり 血さえつながっていればいいみたいで割と適当でした。 その頃ドイツやフランスがでっかくなってきて 北ドイツにハンザ同盟なんてのが出来ていました。 ちなみにハンザ同盟は、北ドイツの商業・軍事組合みたいなもんです。 当時いろんな諸侯が日本で言う「藩」みたいに独自で統治している状態でした。 主にそいつらの組んだ同盟です。 北欧がこのままバラバラでは損するだけでした。 そいつらと対抗することも踏まえてカルマル同盟というのを結びます。 デン・ノル・スーの三カ国です。 一応まとめ役はデンでした。当時まだ大国だったんです。 そしてハンザ同盟に儲けさせたくないデンは バルト海を通る時の関税を重くしたりしました。 ハンザ同盟は怒りました。 そりゃそうです。 ハンザは経済封鎖をしてきました。 それで困ったのがハンザと特に交易をしていたスー。 ノルもえらい迷惑です。 スーはデンに反抗し始めます。 そのせいで本家で折檻されてたって表現で色々牽制されていたんでしょうね。 しかしスーはやがて独立します。 スーがブチ切れたんです。 ある日デンに攻められて反抗していた中心グループ諸公が虐殺されたのが切欠です。 ストックホルムの血浴と言われています。 カルマル同盟も崩壊しました。 デンとノルだけが二国間同盟として暫く残りますが スーは完全に家出をしました。 独立してからスーとデンは主に5・6回戦争をします。 めんどいので並べると、 カルマル崩壊・スー家出→ 1563北方七年戦争→ 1611カルマル戦争→ 1643トシュテンソン戦争→ 1657カール・グスタフ戦争→ 1675スコーネ戦争→ 1700大北方戦争 って感じです。 途中までは大国だったデンですが、 トシュテンソン戦争辺りで大敗して威信が落ちてしまいます。 代わりに頭角を現したのが家出したスー。 バルト帝国なんて言われて強大な大国になっていました。 この辺は三十年戦争っていう、ヨーロッパでいう関ヶ原の合戦的な大戦争が起こったためなので調べると面白いと思います。 それ以降デンからスーへ侵攻することはありませんでしたが、 やがておフランス発のナポレオン戦争が起こります。 フランスに味方したのはデン。 フランスさえ叩ければそれでいいイギリスに味方したのはスー。 結果、フランスは負けます。 三十年戦争が関ヶ原なら七年戦争とナポレオン戦争は後期中世におけるWW1とWW2です。 ヨーロッパのみならず植民地も巻き込んだこの戦いで デンは敗戦国としての扱いを受けました。 そこで結ばれたのがキール条約。 デンの処遇に対して無関心だった他国に比べて スーはデンにノルを要求しました。 数百年前からの恨みを忘れていなかったんですかね。 ノルは嫌がりますがスーが力づくで自分のものにします。 すっかり小国となりましたがデンのいいところは ポジティブシンキングです。 「国外で失われたものは、国内で取り戻せばいい」と昔のデンの偉い人が言いました。 それ以降も中立を守ろうとして失敗したり成功したりを繰り返して、 いつしかデン国内は国と人とがとても信頼関係の強い国になりました。 福祉国家として生まれ変わったデンはそのあとも スーに福祉国家の指導権を取られたりしながらも、 世界一幸せな国として現在に至ります。 海に阻まれていた二人の間に橋なんかも建設されています。 国民気質的にも恥ずかしがりなスーとしては微妙な気分でしょうが、 きっとデンは幸せだと思っています。
数冊ゲイツされてこんな把握の仕方になってみました。 なんかおかしい所あると思います。 こういう二人の変遷を面白おかしく漫画に書けたらなあと思いつつ原稿に戻ります。
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