2010/9......OLD
 
9/22(thu)
■ クソゲー2の追加スーさん画像で
そこに至るまでとその後の話が
ぶわあああああっと頭の中で広がって、
日中の笑顔が耐えなかったきもい人です。吉良です。


リアル引越しが早めに来そうなので、
引越し後の予定調整して擬人化王国に申し込んでみました。
お東京でお買い物したい!遊びたい!
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通販のご入金連絡を頂いたすべての方に
発送をしました。
新刊の入稿が遅くなったため、新刊のみ発送が月末になります。
下旬といったにもかかわらずお待たせして大変申し訳ありません…。
9/17(fri)
■ 9月は北欧の知人の誕生日ラッシュです!
乙女座は北欧に運命的な
センチメンタリズムを抱かずには(中略)
惹かれやすいんだろうか。
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通販の入金のご連絡を全ての方から頂きました。
ラストの発送は土曜日を予定しています。
9/13(mon)
■ 一晩明けても二晩明けても未だにぶわああああっと
頭の中が血行良くなっていたので
絵とか漫画とかを描いたりしていました。

リアル引越しが決まりましたので
11月の世界会議は参加を見送ります。
ここ三年間毎年引越ししてるわー。

通販準備ができましたので
新刊以外は明日発送させていただきます。
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絵チャで描いた生足に見えたあんこ。
日記にアップすると画像サイズ大きいな!

今までの落書きをまとめようとしていたり
ちょっとしたときのメールがめんどいと言われたので
拍手を設置したりしています。
拍手絵は今のところありませんが絵チャログとかを置こうと思っています。
9/12(sun)
■ 爆発しました爆発しました



昨日のキタユメ竹林ブログの更新で
ここ一年ずっと見たくて焦がれていた暴れん坊スーさんと
漫画みたいな負けっぷりのデンが出てきました。
全身から汗がドッと出てきました。
ノルをして「あんこうざい」と表現されるにふさわしい
完膚なきうざさでした。
これで滅びずに現代で「世界一幸せな国」と
言われるまでになった過程を考えると
ぶわああああってこみ上げる何かがあります。
兄ちゃんとポーと親分のイメージ図ってあれですかね
「氷と熊と闇の国」っていう
当時のスーさんちのイメージを表しているんですかね?
ポーのイメージ図がパンツかぶってるように見えたんですが。

ひとしきり叫んでゴロンゴロンした後で
絵チャでごそごそ描いてPIXIVで告知してもさもさ描いていました。
しかし北欧スキーの方は勉強家の方が多いというか
絵チャでも色んな面白いエピソードが聞けて楽しかったです。


7月に上げたクリスティーナ女王の漫画の後半を
早く仕上げたくなりました。

そして10日の夜で通販のお申し込みを締め切らせていただきました。
順次返信をしておりますのでお申し込みくださった方には本日中に返信をお届けします。
発送に関しては、次の発送は月〜火曜日を予定しています。
9/7(tue)
■ 「あまり強い言葉を使わないほうがいい 弱く見えるぞ」
みたいな台詞がそのまま自分に返って来ている藍染様ですね!(ジャンプのブリーチ感想)


昨日までに頂いた通販のお申し込み全てに
返信をしました。前にもお伝えしましたが
新刊の発送のみ9月下旬になりますので宜しくお願いします。
9/5(sun)
■ そしてまんまと北欧柄の秋服を買ってみました。(昨日の雑記参照)
しかしノルディック柄の服+ノルディック柄のトート+ファーの靴って
どう考えてもマタギにしか見えない。
ちょっと奥羽軍に加勢しに行ってきます。(銀牙伝説)


昨日までに通販のお申し込みを頂いたすべての方に
返信を致しました。まだ来てない!という方はお手数ですが再度ご連絡下さい。

発送第一弾は本日日曜にいたします。
9/4(sat)
■ 今年の秋冬はノルディック柄のファッションが流行るとか!
SPURとD&Gのコラボだかなんだかのオマケバッグが
かわいい北欧なトナカイ柄だったので
生まれてはじめてオマケ付きファッション雑誌を買いました。1500円。
しかしこれって最近よくあるオモチャ付きお菓子ならぬ、
お菓子付きオモチャみたいだなー。
思ったより結構大きかったので何に使おうか買ってから悩んでみました。
イベントにコピー本を運び入れるときぐらいしか想像が付かなかったんだぜ。

昨日までに頂いた通販のお申し込みは全て返信を致しました。
ご入金連絡を頂いた方から順に、
既刊のみ先に発送させていただきます。
フライングで乗っけてた新刊は出来次第別便で送りますー。
(受け取りのお手間かけてすいません、送料は頂きません)
9/1(thu)
■ (ネタバレがあります)



こんにちは、
キタユメの竹林日記ページのDLゲームで
大喜びしている吉良です。


スーさんちに行った選択について。

大北方戦争じゃなくて三十年戦争じゃね?って思ったんですが
同意権の方がいたので自信を持ってみました。

三十年戦争はこれ以上無いくらいプー(というかドイツ全体)のうちが荒れに荒れたし
大北方戦争で痛い目に遭ったのはどっちかっていうと
デンさんちとポーだよね…後半はポーにプーが協力したけど…

スーポープー表現で考え続けていたので日本語が崩壊しそうになりました。



12回も起こす過程と、目覚めた後の二人が気になって日中もんもんとしていました。
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先日、北欧の歴史講座に出席する機会がありました。
そこで分かったカルマル同盟について、
読みにくいですがざっとまとめました。

同盟は崇高なものではなく、各国の力関係と目的が交錯したややこしいものでした。

勉強不足で不明な点・相違点があると思います。
またツイッターで呟いたものと同じなので、
口語です。すいません。

【カルマル同盟】=14世紀にデンさん・スーさん・ノルが締結した、デンさん主導の同盟。こっからが本家で言う「下っ端やってこき使われていた」状態になる。


【カルマル同盟についてまとめ】

カルマル同盟ってのはスーさんち南端(当時はデンさん領)カルマルで締結した、
デン・ノル・スーの同盟。
同盟って言っても、その盟主デンさんち主導によるものだった。
当時のトップ、マルガレーテ一世がとんだ豪腕王妃で、
その下準備がこれまた狡猾だった。
マルガレーテ一世は、デンの上司(王様)の娘。
ノルの家に6歳で嫁ぎ、17歳で次期ノル王を出産。
当時ペスト等で家来も逃げ出すほど困窮していたノルだったけど、
王妃は妊娠中でもドイツへ助力を求める等、
すでに17歳で国政を仕切っていたんだ。
そんな矢先、デンの王様のお父ちゃんが亡くなる。
そこでマルガレーテが産んだ息子が王位継承してデンの新しい上司になる。
次いで4年後、旦那のノルウェー王が亡くなり、息子はまた王位継承。
マルガレーテの息子は、デンとノル両方の上司になる。
そうして覇権を強めた中、スーの家の実力者が死亡した。

【余談】当時、国とは言ってもノルは地域的にまとまりにくく、
強大な豪族みたいなもので、
デンは地域的にどこへもアクセスしやすく地形が平坦で纏まりやすかったので、
北欧の中で優位に立ちやすかった。
ヴァイキング時代はほぼ対等。
「長男だっぺ!」と宣言できるのはこの辺からくるのかも。

スーのうちの実力者は、死ぬ前に遺言状を遺した。
その解釈を巡って、対立が生まれたんだ。スーのうちの中でね。
当時、すでにドイツ人たちは北欧へも進出していて、
当時のスーの上司はドイツ系の人だった。
けど、中のスーさんちの貴族達はもちろん、
他の北欧の偉い人たちもドイツ人に支配されたくないから快く思ってないわけで。
遺言執行団体と、ドイツ系の王様と対立が生まれていた。
そんな中、マルガレーテの息子(デン&ノルのW上司)が死亡!
ちんたらしてたからマルガレーテが毒殺したんじゃないかって噂もある。
マルガレーテは、次期国王を親戚から養子にして、
貴族達に選挙をさせて、
自分を摂政よりも遥かに強権を持つ支配者の立場に立ったんだ。
「男どもに任せてられるか」的な。
ここがマルガレーテのすごいところ。
一ヵ月後、ドイツ系の王様を快く思っていないスーさんちの貴族達に、
スーの支配者にも選ばせちゃったんだ。
それだけのイニシアチブが取れていたんだ、彼女は。
これで、スーの上司がドイツ系の王様とデンさんの家の豪腕王妃の二人出来てしまった。
(逆にドイツ系の王様がいかに不人気だったかってのもあるね…)
スーのうちの実力者の遺言を巡る遺言交渉はとうに決裂、
スーのうちに支配者が二人は要らない。残る手段は戦争だ。
結局、戦いはマルガレーテが勝利したんだけど。
このとき王様側に少年スーさんが居たとしたら色々夢が広がりまくりんぐ。
マルガレーテは王様を捕虜に取り、スーの上司王家相手に6年間の解放交渉をする。
結果、スーの支配権の一切を放棄するっていう
一番デンさんちに有利な条件で王を解き放ったんだ。
マルガレーテはその後、養子にした息子をノル、デン、スーのうちの王様へ戴冠させる。
これで摂政的な役割は一旦終了したわけだけど、
死ぬまで息子王を支配して強権を発し続けたそうだ。
で、戴冠のところでカルマルが出てくる。
カルマルはそれまでの歴史にほぼ全く出てこない何てことない商人の港町だ。
そこが同盟成立の舞台になったのは何故か?
理由はある。
当時すでにドイツ人による超でかい商人団体ハンザ同盟がバルト海に面した地帯に出来ていた。
当時まだいた海賊を取り締まったりもしてたんだ。
そこでドイツのハンザ同盟がうっかりした。
カルマルの商船を海賊船と誤認逮捕して、
ろくな審議もしないまま船ごと火刑にしたんだ。
そこでカルマルで会議が開かれることになる。しかし、そこへハンザは来なかった。
「やっちゃったぜ!でも謝らないぜ!」
それは、マルガレーテの養子がノル、デンへの戴冠が済んで、
次はスーの上司になるだけだね、って時だった。
ちょうど良い頃合だったんだ。
会議の名目も兼ねて、諸侯を集める。
そこで養子はスーの上司になるべく戴冠し、晴れてカルマル同盟が出来上がったんだ。
成立の文書をつくるにもすったもんだあったらしいんだけど
記録があまり残っていない。
なぜなら、きっちり記録をつけるドイツ人(ハンザ同盟)が欠席していたからだ。
その中でもちゃんと残っていたのが戴冠文書。
マルガレーテは狡猾だった。
デンさんが盟主であり支配者である戴冠文書は保存のいい羊皮紙に
蠟で作った印章をじゃらじゃら下げて(現代のサインとかハンコみたいなの)
大変立派なものを作った。
自分の利益になることはしっかりと、
不利益になるものは質の悪い紙で作って現代ほとんど残ってない。
彼女の繊細な気遣いとイニシアチブにより始まったカルマル同盟だったが、
結局、それは彼女の代だったからこそ成立した非常にあいまいなもので。
次第、強大になっていくドイツや北欧諸侯を抑えるのにあんこ手一杯なうちに、
スーさんは様々な技術や制度を吸収して肩を並べ、家出し、超えていったんだ。


以上おわり。